子どもの目線
「ママ、カニがいた!」
5つ先の駅にある幼稚園へと向かう満員電車の中、突然娘が、興奮したように声をあげました。
「カニ?カニがいたの?どんな カニがいたの?」
「あかいカニ、おおきいカニ」
・・・年少児の戯言。『空想の世界にでも入り込んでいるのかしら』と、その朝はやり過ごしました。ところ が、次の日も、また次の日も、「ママ、カニがいた」は続いたのです。
毎朝12分間の電車通園。降車駅で速やかに降りられるよう、娘を守るようにドア近くに立つのが日課でした。ドア部分の窓は大きく縦に長いので、背の低い娘にも外の景色が楽しめます。娘は、ギュウギュウ詰めの電車の所定の位置に立ち、毎朝熱心に窓の外を眺めていました。
さて、こんなことが数日も続くうち、私は、毎朝決まったポイントで娘が「カニがいた!」と言うことに気づきました。ところがそこは住宅地で、カニがいるはずなどありません。『看板かしら?』と注意して見ましたが、それらしき建物もありません。「本物のカニなの?それとも絵に描いてあるカニ?」 「大 きさはどのくらい?」・・・質問攻めになる私に、
「本物のカニだよ。大きくてね、いつもこっちを見ているの。私に行ってらっしゃいしているの」
と娘。謎は深まるばかりです。さらに数日。毎朝決まって
「ほら、カニがいる!」
と告げられるのに、その存在を確認できない私。見つけられない自分に苛立ちが募り、「ほんとにい るの?」などと口にする有様です。とうとう見てもいないのに、「そうね、可愛いわね」などと適当に相槌を打ち始めたところ、娘は真剣な眼差しで、
「どうしてあそこにカニがいるのかな?」
「カニさん、いつまであそこにいるのかな?」
と、カニの存在を認めた母(実際にはまだでしたが・・・)に、あれこれ質問を 始めました。これはまずい。本気で見つけなくては…!私は、必死にカニを探し始めました。
毎朝決まった場所でほんの数秒間だけ見ることができ、動いている電車からでもカニとわかるもの。よし!ある朝私は、思い切って電車の中でしゃがんでみました。大人が急に満員電車の中でしゃがみ込んだのですから、周りの方はさぞ驚かれたに違いありません。当の私自身も気恥ずかしさが先に立ち、最初の日はカニを見つけるどころか、外を見る余裕さえありませんでした。
次の朝、今日こそはと腹を決め、娘の目線で外を眺めていると 、あれ?何かが見えたような...。『よし!明日こそ!!』。次の日も、同じようにしゃがみ込み、娘の目線をたどってみました。
すると、なんと、紛れもなくカニがいたのです。
線路から少し奥まったところの住宅地の真ん中にぽっかりと穴が空いたような資材置き場。そこに、板や棒と一緒にカニの張りぼてが置いてあったのです。幅1mくらいでしょうか。赤い体から丸い目が飛び出しています。きっと、片方のハサミは壊れてしまったのでしょう。残ったハサミを振り上げて、まるで「行ってらっしゃい」と手を振ってくれているようです。「カニ、いたわね」と微笑む私。自分の発見を本当に共有してくれた母に、娘は満面の笑みを返してくれました。
私たちは、同じ景色を見ているつもりで、実は全く違う物を見ていたのです。私が見つけたものを教えても、幼い娘には見つけられないことが多かった かもしれません。この一件から、私は娘の目線で捕らえられる物を意識するようになり、それをしっかりと見届けてから言葉を添えるよう気をつけるようになり ました。
その後、私たちは電車に乗ると『見つけたものごっこ』をするようになりました。
目にした物を交互に伝え合うという簡単なゲームでしたが、2人とも必死に探し合い、結構盛り上がりました。娘が字を読めるようになると、看板でも標識でもひらがなでもアルファベットでも数字でも、目にした文字を読み合うというゲームに進化し、娘が小学校の4年生になるくらいまで続いたでしょうか。今では懐かしい思い出です。
そういえば、もう一つ忘れられない思い出があります。
年中になった娘が電車乗った途端、「ママ、オバタリアンがいる」と大きな声で言ったのです。 昼間の車中は中年のご婦人ばかり。真っ青になり声を押し殺しながら、「失礼なことを言ってはいけません」とたしなめても、「だって本物のオバタリアンがい るんだもの」とひるみません。おそるおそる振り返り娘の視線をたどってみると、当時TV番組で「オバタリアン」という役柄を演じていらした有名な女優さんが座っていらっしゃいました。
娘の目線の先にあるものは・・・驚かされる事ばかりです。
木村 昭恵(四谷教室)