遊びをせんとや生まれけん
「遊びをせんとや生まれけん
戯れせんとや生まれけん」
キンダーで楽しそうに遊ぶ子ども達を見ていると、ふとこの「梁塵泌抄」の有名な一節が頭に浮かんでくることがあります。
子ども達が元気に遊ぶ姿は、私たち大人を、優しく穏やかな気持ちにしてくれます。「梁塵泌抄」が作られた平安時代の大人も、子ども達が遊ぶ姿を微笑ましく見守っていたのかもしれませんね。
ところで、一緒に楽しく遊んでいる2人のお子さんがいたとします。
片方のお子さんが、もう一方のお子さんが遊んでいるクマのぬいぐるみをどうしても欲しくなってしまったとしたら、どんなことが起きるでしょう。
不意に近づいて無理矢理取ろうとすれば、相手も取られまいとして必死になり、ひっぱりっこが始まります。
こんなこともあります。「貸して」と手を出し、動作で気持ちを伝えようとするのですが、ぬいぐるみで楽しく遊んでいるお友達が簡単に渡してくれるはずもなく、返事もしないので無視しているかのように見えます。
すると我慢できなくなって、ぬいぐるみを無理矢理取ろうとしてしまう。やっぱり、ひっぱりっこが始まります。どちらも譲れないとなれば、ケンカに発展することもあるでしょう。
さてこんな時、あなただったらどんな対応をしますか?
相手への気遣いを優先して、ぬいぐるみを譲り渡すようにと強いるお母様がいらっしゃいますが、これでは、お友達と遊ぶたびに不本意な思いが募り、お友達と関わること自体が嫌になりかねません。
お友達のぬいぐるみを欲しがる我が子に、「これもかわいいわよ」と他のおもちゃを差し出して気を逸らす方法もありますが、ちょっとした争いごとは他人との関わり方を学ぶチャンスなのですから、その時に起きている葛藤を無かったことにしてしまうのはもったいない気もします。
子ども達は「遊び」を通してたくさんのことを学びます。とりわけお友達と関わるようになると、一人で遊んでいたときにはなかった多くの問題にぶつかり、そのなかで、ときには悲しさや悔しさを感じながら、人との関わり方、すなわち社会性を身につけていくのです。
大切なのは、子ども達が「遊び」を通して、人との関わり方を学んでいるということを、母親が理解することです。
ケンカのように見えても、お互いの思いをぶつけ合うことで、子ども達は、折り合うこと、譲ること、主張することなどを学んでいるのです。争い事を避けたい大人はてっとり早くその場を解決したくなりますが、そこはぐっと我慢して、使いたいけど貸してもらえない、我慢しなければならないのはわかるけどやっぱり欲しい、そんな心の揺れを感じるゆとりを、子どもに持たせてやって欲しいと思います
「遊ぶために生まれてきているのだろうか
戯れるために生まれてきているのだろうか」
と、子ども達の “学びの場” を大切に見守りたいものです。
曽我 みどり (吉祥寺教室)