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学校訪問
理事・吉岡俊樹が、保護者の方の視点に立って学校・先生・児童たちの魅力をお伝えするページです。いろいろな学校のことをもっと知りたいというご要望にお応えして、新設校や今注目されている学校を訪問し、先生方にお話を伺います。
国府台女子学院小学部
(取材:2010年7月)
平田史郎 理事長・学院長
学校法人平田学園 国府台女子学院小学部
1926(大正15)年、国府台高等女学校を設立。1947(昭和22)年、学制改革により、女子中学校・女子高等学校へ改称。1951(昭和26)年、校名を国府台女子学院に改める。1960(昭和35)年、小学部を開設。2010(平成22)年、新校舎着工。2012(平成24)年8月、小学部校舎完成予定。
http://www.konodai-gs.ac.jp/elementary/
—現在、新校舎の工事が進んでいます。中・高の新校舎成は2011年7月、2012年7月には小学部の新校舎が完成予定とのことですが、新校舎完成まで現在の校舎を取り壊さずに建築を進めていくためには、用地の取得などご苦労があったのではないですか。
平田:「広い敷地があれば」という漠然とした思いを持ったのは前の学院長の頃からです。その後、私が学院長に就任(1996年)して以来、十数年にわたって新校舎建設に向け取り組んできました。
幸い、東京外郭環状道路の代替地として東日本高速道路株式会社が所有していた住友鋼管の工場跡地を取得できましたが、最初に話を進めた頃は、所轄省庁は建設省、土地の所有は道路公団。今や担当所轄は国土交通省、当時の道路公団も民営化したわけですから、世の中の変化が窺われます。
用地取得が整ったおかげで、新校舎の完成まで、現在の校舎で今まで通りの授業や行事を続けることが可能になり、新築工事が子どもたちの学校生活に影響を及ぼす懸念がなくなりました。
—新校舎では入り口正面に図書館が配されるとのことですが、これは学院長のお考えでしょうか。
平田:新校舎の建設にあたって、小・中・高の中堅以上の職員で新校舎建設準備委員会を組織し、そこで、どのようなコンセプトに基づいて新校舎をかたち造るべきか揉んでいき、その結果として「知識の泉」である図書館を、入り口に配置すると決定したのです。
今の子どもたちの様子をみていて、「学習の自発性を育てたい」という願いが学院で教育に従事した教員から挙がってきまして、その集大成が入り口正面の図書館の形になったわけです。これは私の考えというより、本学院教員の思いが具現化した形といえます。
—先日の学校説明会で、「新校舎にはカフェテリアがありますが、新校舎では給食に変わるのでしょうか」という質問がありました。それに対する回答は、「お弁当持参はそのまま継続される」とのことでした。これは家庭での食育が重要とのご判断からなのでしょうか。
平田:新校舎に設置されるカフェテリアには自販機が設置される予定で、そこに子どもたちがくつろげるスペースを設けますが、厨房をつくる計画はありません。お弁当については、「お子さんの昼食の面倒は親御さんがみてあげてほしいなぁ」ということです。
—授業の様子を拝見すると、体操着に着替える際に制服をしまう風呂敷ひとつ、お子さんの髪形ひとつ見ても親御さんが子育てに手をかけているという印象があります。そのあたりは御校の伝統なのでしょうか。
平田:風呂敷を使って服を包むということ自体は、何十年も前から行っています。「始末」という言葉がありますが、やはり「始末」を身につけることは、基礎・基本なんですね。小さなことかもしれませんが、「きちんとしましょう」というのがひとつの方向づけかもしれません。
—それらの始末のつけ方にも家庭教育のあり方が自ずと見えてくる部分があるかと思いますが、そのような生活姿勢はどの段階から身につくものなのでしょうか。
平田:自分の着た洋服、自分が遊んだオモチャの片づけから「始末」が始まります。子どもというのは物心がついたときに親がどう接したかで決まってきます。
子どもにとって両親、特に母親というのはある時期まで神様のような存在なんです。母親に叱られれば悲しいし、褒められれば嬉しいわけです。自分が遊んだオモチャを片づけるとお母さんが褒めてくれる―片づけないと叱るという場合もあるかもしれませんが―という経験を重ねていくと、『自分はどう行動すべきか』という行動規範の基礎ができてきます。それができていないと、いかに学校で努力しても、その上に積み増していくことは難しい。
小さいうちから、叱るだけでなく褒めていくことで、「お母さんの期待に添えるかどうか」と子どもは自問するようになってきます。その経験を多く積んでいくことで行動規範が身についていくのだと思います。
—「行動規範」の話と関連しますが、学院長は学校説明会でも「自己規範性」ということを強調されました。「したいことと、すべきこと」、「したくないけど、やるべきこと」に関する話は、会津藩の教えである「ならぬことはならぬものです」とも通じるものです。これについてもう少し説明していただけますか。
平田:戦後の教育では、自由と権利が強く謳われてきました。もちろん、これ自体は素晴らしいことですが、ややもすれば、「やりたいことだけすればいい、やりたくないことはしなくてもよい」と拡大解釈されがちです。しかし、社会には個人の好みや損得とは異なる次元の規範があります。自らを律して規範に添うこと、その価値観を幼い頃から身につける必要があります。
—自己規範性は、現在求められている教育の根本だと言えるでしょうか。
平田:「誰に求められているか」によってそれは変わってきます。やはり私学教育には、社会から普遍的に求められている価値というものがあると思います。しかし、「我が子に求める教育」ということで言えば、保護者の皆さんは、受験技術のテクニカルな面を求めますから、その二つの側面を同時に満たさなければなりません。
具体的にお話しますと、「子どもが大人になったときに生きていくためのスキルや知識を身につけること」が、公立・私立を問わず求められています。我々もそこは必ず満たさなければならない義務だと思っています。しかし、単に知識やスキルだけでなく、大人として生きていく価値観というものも同時に身につけてあげなければならない。
最近クローズアップされている「生きる力」とか「キャリア教育」も重要ですし、「自己実現」も大切ですが、単にそれだけではなく、充実した一生を送るための心構えのようなものを同時に教えていくことが求められていると私は考えています。
—「智恵と慈悲」を持って生きることも不変の価値観かと思いますが、やはり御校には仏教に理解の深い、あるいは仏教に帰依している保護者の方が多いのでしょうか。
平田: 「宗教に比較的馴染みが薄い」「特に仏教に興味があるわけではないが、ないがしろにはしない」というのが世間一般の宗教観だと思いますが、当校もあまり変わりはありません。「仏教に関心がある」という比率が世間一般によりやや高い程度だと思います。とはいえ、それほど関心が深い方が多いわけではなく、「娘から仏教にまつわるエピソードを教わって感動した」と感想を伝えてくれるお父さんも多くいらっしゃいます。
—学校説明会では複数の父親が熱心に質問していたのが印象的でした。女子校は父親と学校の関わりが希薄なのではないかと思いましたが、説明会でも見学会でも男性の参加が目立ちました。これには何か理由があるのでしょうか。
平田:説明会・見学会でお父さん方の参加が多い理由というのは特段思いつきませんが、数十年前から『育友会』というお父さんの会が組織されています。先代の学院長に「社会のなかで仕事をして広い視野を持っているお父さんにも学校の運営に参加してもらいたい」という希望がありまして、当校はPTAという一つの組織ではなく、「母の会」と、父親の会である「育友会」の二本立てになっています。
当時は、今よりもっと専業主婦の割合が多かったので、男性の視点とお母さんの視点は今よりもっと違っていたと思います。いったん会が組織されると、うまい具合に継承され、「育友会」では会報も発行していますし、学院祭にも催事で参加したり、夏休みの最終日曜日にはバーベキュー大会を催したりしてくれています。「母の会」の活動も活発ですが、当校は「お父さんの活動が一番活発な学校」と言えるのではないでしょうか。特に、小学生のお子さんを持つお父さんは、娘さんがかわいくて仕方ないので一生懸命協力してくれます。でもその子が中学・高校と育っていくと、気の毒なことに「お父さん、嫌い」という時期を迎えます(笑)。
「育友会」は、小・中・高横断の組織ですから、お父さん同士で思春期の娘を持つ父親の悩みを語り合ったり、ゴルフの好きな人はゴルフの同好会でも懇親を深めています。
—昨今、共学校人気が高まる一方、男女別学が一部で注目されていますが、将来的に共学にするお考えはありますか。また、女子校での小中高一貫教育は社会に出てから、どのような形で活かされるとお考えでしょうか。
平田:当校は創立者の平田華蔵が女子師範学校として設立したのが始まりです。当時は大正デモクラシーの中で女性の権利が理解され始めてきたところでしたが、「女性の教育をどのようにすべきか」というコンセプトの中でできたのが当校ですので、建学の精神を壊してしまえば、私学の存在意義がなくなりますし、どの学校も共学では、金太郎飴のように均質化され、学校の個性がなくなります。たとえば、「三年間、体操着を一回も洗ったことがない」というバンカラのいる男子校があってもいいし、女子教育を貫く学校があってもいいでしょう。当校は共学にするつもりはありません。女子校というのは、意外と行動力を発揮できる場なのです。
というのも、女性に対する目は同性である女性が一番厳しいわけですから、口ばかり達者でも行動が伴わない子は評価されません。共学だと、異性に人気の「かわいい子」は、「何もしなくても許される」という雰囲気があるかもしれませんが、ウチでは力仕事も含めて学校行事を形にしていくために行動しなければなりませんから、そういう子にはなりません。また、高校生になれば、「君たちが社会に出ていくことを妨害するような男性がいたら、おしとやかに蹴飛ばしてもいいんだ」と教えています(笑)。女性としての優しさと慈しみの心を持った上であれば、社会の役割分担を超えて活躍してほしいと思っています。
同時に嬉しく思うのは、小学部出身の卒業生が社会に出てからの評価が高いことです。特別目立った成績の子でなくても、周囲への心配りや読み書き、掃除など基本が行き届いていると重宝されているお嬢さんが多くいます。
—小学校で教わったことが、社会に出てからの基本になるということですね。
平田:小学部の時期に土台ができれば、自ら研鑽して、いくらでも上に積み増しをすることができるんです。逆に、小学生で基本ができていなければ、まあ、無理をすれば大学受験くらいまでならなんとかごまかしながら積み増しできるかもしれませんが、社会に出たら持ちません。その意味でも小学生の時期にしっかりした土台をつくること、生きる上での心構えを教えることが重要です。
そのためには「型にはめる」必要があるのです。武道でもスポーツでもそうですが、何事にも型があります。その型を習得した上でないと、「型破り」なこともできません。その「型」とは、子どもが伸びるための基本であり、それだけは身につけさせないと、将来の発展性がなくなってしまいます。「型にはめる」というと、誤解を受けることが多いのですが、当学院が創立以来守ってきたものであり、時代のフィルターを経たものですので、間違ったものではないと思います。
古くから周辺地域では定評のある女子校ですが、改めて女子教育に対する誇りを感じ取りました。学院長先生からは、「女子校をやめる(共学にする)くらいなら学校をやめますよ」という気概が伝わってきました。新築工事が間近に行われるにもかかわらず、登下校通知システムなどの防犯対策に投資を惜しまない姿勢にも、熱い思いが窺えます。訪問の際、どの児童も皆、とても明るくそして親しみをもって迎えてくれたことにも感動しました。清掃が行き届いた校舎を見るとは、新校舎への期待が自然と高まってきます。(吉岡俊樹)
学校生活は「合掌礼拝」に始まり、「合掌礼拝」に終わる。左は幼年時代の親鸞聖人像。
茶道教室としても使用される『思永寮』。新校舎完成後も現存のまま維持される。取材当日は「母の会」の活動で使用されていた。
教室に掲げられた百人一首。一定期間ごとに歌が入れ代わり、6年間で百首が自然と頭に入るよう工夫されている。右は制服をたたんで包んだ風呂敷。各自が思い思いの風呂敷を使用している。
試験答案に書き込まれた几帳面な文字と、その見本となる板書の文字が印象的。取材当日は5年生の理科の試験であった。
左から家庭科・図工・音楽の各授業。全校集会での発表に向けて、情感たっぷりに歌う音楽の授業は、参観した父母の間でも一際人気が高かった。
クールカードを通すことで、登校下校時の時刻が保護者に送信される。この他、防犯カメラや緊急ブザー、位置検索システム(希望者)も導入しており、子どもの安全に万全を期している。